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国鉄本社激怒のくだりは、むしろ本社側が特急を追い抜くのを辞めて欲しいと泣きついてきたと聞いたことがあります。しかも大阪側が東京の本社に対抗意識をもっていて、同時発車ながら最初わざと新快速を遅くして特急を追い抜く場面を作ってたとか。
特別快速としないで新快速としたところに、東京の言いなりにはならないと言う気概を感じます。
大阪発の場合そうだったのですが、記憶では北陸からくる1番雷鳥だったと思うのですが、京都を新快速より1分前に出発し、大阪着が1分後と言うものがありました。当時の時刻表をお持ちの方は確認出来ると思います。
10:17 ここの感じが私鉄と、JRの立場が逆転しただけでJR九州と西鉄の関係に似ている気がする。
JR西日本の本気は『JR発足後、特急用車両よりも先に221系を製造したこと』によく現れてる他のJR各社は真っ先に新型特急用車両を製造したのに
井出氏が2000年読売新聞インタビューで民営化直後の取締役会で、山陽新幹線の利益でローカル線の赤字を埋めて、京阪神地区の利益でご飯食べないといけないからいかに私鉄から客を奪うかを第一に考えて経営戦略を立てたとのこと
なおJR西日本初の新形式は宇野線向けのオンボロ吊り掛け車だったけどね。221系は2番目だったはず
新快速は今や無料特急と呼ばれるくらい速達性が凄くてまさに化け物種別ですよね…京阪神間が特急より早いというのも凄すぎて😅117系の乗り心地は歴代最高だと思います!
私鉄は普通、準急(+通勤準急、区間準急)、急行(+通勤急行、区間急行)、快速急行、特急、快速特急と様々な種別を作れますが、国鉄→JRは種別を1つ増やすだけで大変な労力です(区間快速すら苦肉の策)。そんな中、新快速のネーミングセンスが凄い!
117系の頃から「新快速」のフォントは、ほぼ現在と同じスピード感を感じさせるものだったんですね。フルカラーLED表示のフォントもこだわってほしいです。
117系になってからもそれほど混んでいなくて昼間は車内販売があるものもありました。
0分発車は各社の看板列車だが、今でも特急をさしおいて大阪と京都で新快速の0分発車にこだわっているのはすごい。
2005年の福知山線事故前は京阪間が28分運転より短く京都駅の発車時刻が毎正時からの15分間隔ではなかった時期もあったと思う
新快速の初代使用車種と言うのも113系であり、その頃はそれでこそ100㌔毎時止まりだったんですよねぇ…。それがのちに、153系に置き換わって冷房付きで110㌔毎時にまで引き上げられ、幾分かは良くなった。
今や下りの最終だけ山陽本線の電車線を走る新快速ですが、先日夜の1、2時間ほど上下ともに電車線を走っていましたね。新快速だけじゃなくて、この時間帯に列車線を走る特急列車も電車線を通過して国鉄時代では考えられないことが起きて驚きました。さすがに貨物列車が走ることはありませんでしたが…。
ちなみに初代車両は東京から万博に向けて輸送力増強用に回された地下線非対応の横須賀線用113系だったりする。でも後の新快速カラー(関西急電と153系ブルーライナー由来)には含まれていない。そしてこの153系、新快速用に6両化を行う際に冷房工事も実施して異例な「冷房のある普通列車」になることに。(当時の国鉄は通勤・近郊型は非冷房)
2代目車両は、山陽新幹線が岡山まで開通したのに伴い余剰になった新大阪ー宇野間急行「鷲羽」などに運用されていた湘南色の急行型車両をブルーライナー塗色に塗り替えだ車両でした。
153系ブルーライナーに交代する前に、113系は6両編成3本を冷房化改造してました。また実は153系も当初全車冷房化が間に合わず、一部はブルーライナー塗装で非冷房なんて車両もありましたね。また余談として貴重な113系冷房車3編成も153系投入で、阪和線用にブルーライナー塗装化されて転属してゆきますが、大鉄局はかなり渋った話もあります。
後編も楽しみです😊
北陸新幹線敦賀開業はJR西日本の在来線区間から交流電化区間が消えるときでもあるんですよね。初めからこれを狙って新快速ネットワークを広げたのであれば、JR西日本の経営ビジョンが素晴らしかったといえるかと思います。
京都から大阪行く時ほんと新快速便利だもんな〜
これだけ身近に…普通に存在する当たり前の様に京都で、走っているのに、こんなに全国区でら騒がれてる。現実。地方の方は羨ましいんですね
やっぱり国鉄に怒られたて話めっちゃ好きやわ笑
新快速の上りは京都手前で新幹線と並走するのが好き
新快速というネーミングは確か、大鉄局が「関東と同じ名前(特別快速)にしたくない」と言ったから的な話を聞いた気がする
関西が誇る新快速は、もはや日本を代表するスピード電車としてのブランドを構築したといえます。京阪神の私鉄の乗客を根こそぎ奪ってしまいました。個人的には117系シティライナーが大好きです。
新快速の草創期を語る際に外せないのは「万博輸送」でしょう。1970年の万博開催前までは関西の国鉄線快速の大部分にもグリーン車が連結されていました。しかし関東と違い利用率の非常に悪いものでした。万博で東海道山陽緩行線の乗車人員増強を考えたとき新造車を作る予算の立たなかった赤字国鉄がこの利用されないグリーン車を関東に送り、代替として普通車を関西に集めることでした。廃車寸前のものも含め113系が集まりました。しかし万博の波動輸送が終了するとこの余った車両をどう使うにかと考え出来たのが新快速です。この頃から国鉄は毎年値上げをするような苦しい台所でしたが、新快速の発足当時の国鉄は私鉄よりかなり割安でした。その後、新幹線の岡山開業で急行鷲羽等、大量に余剰となった153系急行型車両を新快速に使うようになってゆきました。おまけとして、外側の列車線を新快速が走るようになったのはJR化以前の国鉄末期であったと記憶しています。もう一つ、初期の新快速はスカ色が多数いましたね。
色々と時系列に誤解があります。まず快速系のグリーン車は万博終了後も継続して連結してました。グリーン帯が消されたのもありましたからね。
言葉が足らなかったです、万博でかき集めた関東の車両を万博終了後の協議でグリーン車を返却することになり順次返却したものと言いたかったのです。
地味に今でもはるかより新快速の方が京都から大阪へ先に着くよね
東海道本線沿線に生まれ育ち、ブルーライナーを大阪駅や自宅の近くの線路沿いから憧れの目で見ていた子供の頃を思い出します。新快速初乗車はちょうど40年前の夏、淡路島海水浴旅行の帰りで117系シティーライナーに置き換わったあとでした。
新快速普通にチートすぎるでしょ。JRになってからも大化けしまくって、更には阪神淡路大震災の時に他の鉄道会社を助けちゃうとはカッコイイ!!
首都圏と東海道新幹線のドル箱がある東日本と東海と違いドル箱路線が無かった西日本は民営化後も暫くは赤字が続くと想定されてました京阪神地区で失敗したらJR西日本は会社の存亡の危機になると危機感ありました井出氏が2000年読売新聞インタビューで民営化直後の取締役会で、山陽新幹線の利益でローカル線の赤字を埋めて、京阪神地区の利益でご飯食べないといけないからいかに私鉄から客を奪うかを第一に考えて経営戦略を立てたとのこと
国鉄時代のブルライナーの子供の頃、乗りたくても主要駅しか止まらないのでなかなか乗れず、車内放送も「次は○○まで止まりません。又、到着時刻や切符の拝見、土日は弁当を食べていた人が多かった」ような記憶がありますね😁
昭和の頃の国鉄は車内で喫煙ができたので、その点では私鉄に勝ってました。一時期の新快速は明石と西明石を交互に停車したりする時期がありました。
明石=全電車停車、西明石=姫路行通貨で、交互停車ではありませんでした。
@sukasen-c8m ありましたよ。実際に経験してます。
京阪神~播州間のJR列車は普通(各駅停車)でも最高速度が110キロ時。快速。では、120キロ時!新快速。との速達性の差は実質的に停車駅の多少と停車時間の差実際、新快速と快速が、並走する場面が良くあります。
阪急、せめて120kmまで上げてくれへんかなぁ……
初代の新快速は、スカ線のおフルなんだけどなあ。逆にスカ線は1000・1500番代に変わったが。
新快速が頑張りすぎたせいで103系が故障頻発してしまったとか。
後はvs阪急電鉄9300系特急プレミア厶シ一トですね
117系もなくなりますねシテイライナーごくろうさまでした❤
スーパー雷鳥おったな
メインチャンネルの動画が無いです…
チャンネルの「コミュニティ」に記載してある内容を確認願います
もっと歴史は古く、戦前の関西急電からですよ。
OPミスってるのか最初の方に空白がある…
OP入れ損なってますね…修正します🙏
1米wおおおおお
関西の人って新快速はJR西日本だけって思ってるのね
国鉄本社激怒のくだりは、むしろ本社側が特急を追い抜くのを辞めて欲しいと泣きついてきたと聞いたことがあります。しかも大阪側が東京の本社に対抗意識をもっていて、同時発車ながら最初わざと新快速を遅くして特急を追い抜く場面を作ってたとか。
特別快速としないで新快速としたところに、東京の言いなりにはならないと言う気概を感じます。
大阪発の場合そうだったのですが、記憶では北陸からくる1番雷鳥だったと思うのですが、京都を新快速より1分前に出発し、大阪着が1分後と言うものがありました。
当時の時刻表をお持ちの方は確認出来ると思います。
10:17 ここの感じが私鉄と、JRの立場が逆転しただけでJR九州と西鉄の関係に似ている気がする。
JR西日本の本気は『JR発足後、特急用車両よりも先に221系を製造したこと』によく現れてる
他のJR各社は真っ先に新型特急用車両を製造したのに
井出氏が2000年読売新聞インタビューで民営化直後の取締役会で、山陽新幹線の利益でローカル線の赤字を埋めて、京阪神地区の利益でご飯食べないといけないからいかに私鉄から客を奪うかを第一に考えて経営戦略を立てたとのこと
なおJR西日本初の新形式は宇野線向けのオンボロ吊り掛け車だったけどね。221系は2番目だったはず
新快速は今や無料特急と呼ばれるくらい
速達性が凄くてまさに化け物種別ですよね…
京阪神間が特急より早いというのも凄すぎて😅
117系の乗り心地は歴代最高だと思います!
私鉄は普通、準急(+通勤準急、区間準急)、急行(+通勤急行、区間急行)、快速急行、特急、快速特急と様々な種別を作れますが、国鉄→JRは種別を1つ増やすだけで大変な労力です(区間快速すら苦肉の策)。そんな中、新快速のネーミングセンスが凄い!
117系の頃から「新快速」のフォントは、ほぼ現在と同じスピード感を感じさせるものだったんですね。
フルカラーLED表示のフォントもこだわってほしいです。
117系になってからもそれほど混んでいなくて昼間は車内販売があるものもありました。
0分発車は各社の看板列車だが、今でも特急をさしおいて大阪と京都で新快速の0分発車にこだわっているのはすごい。
2005年の福知山線事故前は京阪間が28分運転より短く
京都駅の発車時刻が毎正時からの15分間隔ではなかった時期もあったと思う
新快速の初代使用車種と言うのも113系であり、その頃はそれでこそ100㌔毎時止まりだったんですよねぇ…。それがのちに、153系に置き換わって冷房付きで110㌔毎時にまで引き上げられ、幾分かは良くなった。
今や下りの最終だけ山陽本線の電車線を走る新快速ですが、先日夜の1、2時間ほど上下ともに電車線を走っていましたね。新快速だけじゃなくて、この時間帯に列車線を走る特急列車も電車線を通過して国鉄時代では考えられないことが起きて驚きました。
さすがに貨物列車が走ることはありませんでしたが…。
ちなみに初代車両は東京から万博に向けて輸送力増強用に回された地下線非対応の横須賀線用113系だったりする。
でも後の新快速カラー(関西急電と153系ブルーライナー由来)には含まれていない。
そしてこの153系、新快速用に6両化を行う際に冷房工事も実施して異例な「冷房のある普通列車」になることに。
(当時の国鉄は通勤・近郊型は非冷房)
2代目車両は、山陽新幹線が岡山まで開通したのに伴い余剰になった新大阪ー宇野間急行「鷲羽」などに運用されていた湘南色の急行型車両をブルーライナー塗色に塗り替えだ車両でした。
153系ブルーライナーに交代する前に、113系は6両編成3本を冷房化改造してました。また実は153系も当初全車冷房化が間に合わず、一部はブルーライナー塗装で非冷房なんて車両もありましたね。
また余談として貴重な113系冷房車3編成も153系投入で、阪和線用にブルーライナー塗装化されて転属してゆきますが、大鉄局はかなり渋った話もあります。
後編も楽しみです😊
北陸新幹線敦賀開業はJR西日本の在来線区間から交流電化区間が消えるときでもあるんですよね。初めからこれを狙って新快速ネットワークを広げたのであれば、JR西日本の経営ビジョンが素晴らしかったといえるかと思います。
京都から大阪行く時ほんと新快速便利だもんな〜
これだけ身近に…普通に存在する
当たり前の様に京都で、走っているのに、
こんなに全国区でら騒がれてる。
現実。地方の方は羨ましいんですね
やっぱり国鉄に怒られたて話めっちゃ好きやわ笑
新快速の上りは京都手前で新幹線と並走するのが好き
新快速というネーミングは確か、大鉄局が「関東と同じ名前(特別快速)にしたくない」と言ったから的な話を聞いた気がする
関西が誇る新快速は、もはや日本を代表するスピード電車としてのブランドを構築したといえます。京阪神の私鉄の乗客を根こそぎ奪ってしまいました。個人的には117系シティライナーが大好きです。
新快速の草創期を語る際に外せないのは「万博輸送」でしょう。1970年の万博開催前までは関西の国鉄線快速の大部分にもグリーン車が連結されていました。しかし関東と違い利用率の非常に悪いものでした。万博で東海道山陽緩行線の乗車人員増強を考えたとき新造車を作る予算の立たなかった赤字国鉄がこの利用されないグリーン車を関東に送り、代替として普通車を関西に集めることでした。廃車寸前のものも含め113系が集まりました。しかし万博の波動輸送が終了するとこの余った車両をどう使うにかと考え出来たのが新快速です。この頃から国鉄は毎年値上げをするような苦しい台所でしたが、新快速の発足当時の国鉄は私鉄よりかなり割安でした。その後、新幹線の岡山開業で急行鷲羽等、大量に余剰となった153系急行型車両を新快速に使うようになってゆきました。
おまけとして、外側の列車線を新快速が走るようになったのはJR化以前の国鉄末期であったと記憶しています。
もう一つ、初期の新快速はスカ色が多数いましたね。
色々と時系列に誤解があります。まず快速系のグリーン車は万博終了後も継続して連結してました。グリーン帯が消されたのもありましたからね。
言葉が足らなかったです、万博でかき集めた関東の車両を万博終了後の協議でグリーン車を返却することになり順次返却したものと言いたかったのです。
地味に今でもはるかより新快速の方が京都から大阪へ先に着くよね
東海道本線沿線に生まれ育ち、ブルーライナーを大阪駅や自宅の近くの線路沿いから憧れの目で見ていた子供の頃を思い出します。新快速初乗車はちょうど40年前の夏、淡路島海水浴旅行の帰りで117系シティーライナーに置き換わったあとでした。
新快速普通にチートすぎるでしょ。JRになってからも大化けしまくって、更には阪神淡路大震災の時に他の鉄道会社を助けちゃうとはカッコイイ!!
首都圏と東海道新幹線のドル箱がある東日本と東海と違いドル箱路線が無かった西日本は民営化後も暫くは赤字が続くと想定されてました
京阪神地区で失敗したらJR西日本は会社の存亡の危機になると危機感ありました
井出氏が2000年読売新聞インタビューで民営化直後の取締役会で、山陽新幹線の利益でローカル線の赤字を埋めて、京阪神地区の利益でご飯食べないといけないからいかに私鉄から客を奪うかを第一に考えて経営戦略を立てたとのこと
国鉄時代のブルライナーの子供の頃、乗りたくても主要駅しか止まらないのでなかなか乗れず、車内放送も「次は○○まで止まりません。又、到着時刻や切符の拝見、土日は弁当を食べていた人が多かった」ような記憶がありますね😁
昭和の頃の国鉄は車内で喫煙ができたので、その点では私鉄に勝ってました。
一時期の新快速は明石と西明石を交互に停車したりする時期がありました。
明石=全電車停車、西明石=姫路行通貨で、交互停車ではありませんでした。
@sukasen-c8m
ありましたよ。
実際に経験してます。
京阪神~播州間の
JR列車は
普通(各駅停車)でも最高速度が
110キロ時。
快速。では、
120キロ時!
新快速。との速達性の差は実質的に
停車駅の多少と停車時間の差
実際、新快速と快速が、
並走する場面が良くあります。
阪急、せめて120kmまで上げてくれへんかなぁ……
初代の新快速は、スカ線のおフルなんだけどなあ。
逆にスカ線は1000・1500番代に変わったが。
新快速が頑張りすぎたせいで103系が故障頻発してしまったとか。
後はvs阪急電鉄9300系特急プレミア厶シ一トですね
117系もなくなりますねシテイライナーごくろうさまでした❤
スーパー雷鳥おったな
メインチャンネルの動画が無いです…
チャンネルの「コミュニティ」に記載してある内容を確認願います
もっと歴史は古く、戦前の関西急電からですよ。
OPミスってるのか最初の方に空白がある…
OP入れ損なってますね…修正します🙏
1米wおおおおお
関西の人って新快速はJR西日本だけって思ってるのね